あらゆる物事が可視化されていく世の中
こんにちは、イトマキエイです。
来週でもう12月、今年も早いものです。
先日インフルエンザの予防接種を受けました。ただ、予防接種を受けてインフルエンザにかかった事があるので、受けたことを少し後悔してます。なんとなくの感じで今年も受けてしまいました。
予防接種を受けても効果はあるのか、ないのか良くわかりません。
来年はどうしよう。
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さて、最近はクレジットカードで支払いできるお店が増えてきて便利になる一方で個人の支払いの履歴を第三者が把握しやすくなりました。また、SNSの普及でどれだけその人が社会に影響力があるのか具体的な数字で見れるようになりました。
つい20年前では考えれないことです。
そうなると次に来るのは、そういった個人情報をかき集めて個人の絶対的な指標みたいなものが出てくるんじゃないかなという事です。
ワンピースでいう懸賞金みたいなものです。
言い換えれば個人が会社みたいになるんじゃないかなと思います。会社であれば、創業何年か、資本金はいくらか、どんな業務をしているのか、従業員数は何人か、上場しているのか、売り上げや利益はいくらかみたいなことが世間にある程度オープンにされています。
取引先やお客はそれを参考にしてその会社と関係性を築くかどうか判断していきます。
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一方、個人を客観的に見る指標は以前まで、どの組織(会社や学校など)に属している(又はいた)のかと年収ぐらいしかありませんでした。
しかし、今はツイッター、フェイスブック、ブログなど他にも様々なことで前に挙げた2つ以外のことがかなり詳しく分かります。その人は、どんな趣味があるか、休日はどうしているのか、仕事や人生観みたいな内面的なものまでわかる場合もあります。
このことでどんな影響が出てくるのでしょうか。
例えば、就職活動で面接をしたとしても一回では中々その人のことを正確には分かりません。その結果、面接官の主観みたいなもので一発勝負的に結果が決まってしまいました。それは、一発逆転が可能な反面、今までコツコツ積み上げてきたものが正確に分かりずらいというデメリットもありました。
そこで、履歴書に個人のSNSやブログのアクセス先を書いておいてその人をより立体的に理解することが出来るようにするという方法が考えられます。
面接では、部活を一所懸命頑張りましたとか言ってたのに毎日ゲームばっかりしてるよみたいなことがまるわかりになってしまうかもしれません。
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個人を客観的に判断できるようになった反面情報を発信する側としては自由がなくなる弊害も出てくるかもしれません。
例えばユーチューブを配信するとします。その時に、アクセス数を増やすためにホントはそこまで興味がない事を配信しなけれなならなかったりする場合です。
他には、ホントはこのゲーム実況をしたいけど、こっちの方がアクセス増えそうだからこっちをやっとこうみたいなことです。
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じゃあ、どうすればいいのかというと具体的には分かりません。
ただ、自分なりに考えた解決策は、そういった流れに乗らなくてもいいようにある程度自己完結した生活を送っておくというものです。会社・学校・家族・友達何か一つだけに依存してしまうのではなく、それぞれにバランスよく接すること。また、自分一人でもできるだけ色々なことが出来るようにすること。
そういった意味で、自炊やジョギングは自己完結的な生活をするのにオススメです。
あまりに自己完結しすぎてもそれはそれで弊害が出てくるかもしれませんが。
それではー。